電通女性社員の過労自殺に思うこと。決して死を選ばないでください。

電通女性社員の過労自殺に思うこと。決して死を選ばないでください。

本年、2016年度のニュースの一つとして悲しむべき訃報がありました。広告代理店の最大手、D社に採用された前途洋々の一人の女性社員がその若い命を自ら絶つという悲しい出来事です。

 

今回はそのことについて持論を少々、書かさせていただきます。

 

ブラック企業だからって…何故

実際にこの女性が投身自殺されたのは昨年の12月のこと。報道されたのが本年(2016年)をかなり経過してから。一般的には事件や事故があった場合、マスコミの使命は速報性ではないでしょうか?そして事実を正しく報道する。それらの情報を私たちは信じるしか術はないのです。

 

でも、今、この記事を書いている11月の末頃にいたっても全国展開規模の新聞紙上において事の真相を詳しく掲載しているところは記憶の許す範囲内においてなかったと思います。

 

このD社。言わずと知れた日本最大手の広告代理店。と、同時にマスコミにとったら最大級のスポンサー。

 

よってその影響を受けている媒体主が事実を客観的に記事にしてくれることを期待出来る訳がありません。ただ、ネット系ニュースサイトの記事ではかなりな数の記事を見ることができました。

 

しかし、そのまま、記事内容を鵜呑みにできるかどうかは断定できません。あくまで参考意見として、それらの情報を読み込み、私なりの持論を展開させていきたいと思います。

 

他人事とは思えない

今回の事件については、とても他人事に思えない節がありました。それは犠牲となった方が大学を卒業して入社したばかりのお嬢さんだったこと。そう、私にも一人娘がおり現在、大学1年生です。

 

娘さんの親御さんにとったら、どれだけ無念であったろうかが手に取るように自分の胸にオーバーラップしてきます。親御さんの悲しみは想像に難くありません。心からご冥福をお祈りしたいと思います。

 

さて、話を本題に戻したいと思うのですが、何故、彼女は「死」という道を選ばなければならなかったのでしょうか?

 

聞くところによりますと、彼女は日本の最高学府である東京大学を卒業されています。そして入社されたのがD社。

 

恐らく、そこまでは何の疑問も不安もなかったはずではなかったかと思われます。そもそも、このD社。そう簡単に入社できる会社ではありません。

 

日本最大手の広告代理店なのです。多くの学生たちから入社したい憧れの会社になっていると思います。世間のイメージでいえば、カッコいい広告業界を一手に牛耳っているまさに勝ち組の会社。給料もいいし、定年まで勤めていれば、それなりの社会的ステータスや名声を集められることは必至でしょう。勤めて損はない会社のはずです。

 

そして今回の犠牲者となったお嬢さん。そこまでは、まさに順風満帆。成功をまさに絵にかいたような人生を歩んでこられたことだと思います。

 

何せ、東大に合格しているのです。そんじょそこらの出来の悪い人間とは出来が違うのです。恐らく、そのことについてはご本人にもそれなりのプライドがあったことと思います。小さいころから勉強もできたことでしょうから、近所でも評判のいい「優等生」だったろう、と想像しないわけにはいきません。

 

また、性格的にも人を妬んだり恨んだりするような人ではなかったのでしょう。プラス志向で勉強していかなければ厳しい受験競争には勝てませんから。東大に合格できること自体、信じた事を一心に守って、強い気持ちで努力を続けられた方だったと思います。

 

で、なければ日本の最高学府にはおいそれと合格できませんから。そのことは、私の娘の大学受験を通して、痛切に身に染みた経験則でもありますので。

 

ところで、今回の事故に接するに及んで、私が初めて社会に出た当時と、現代のそれとがあまりに様変わりしている部分を感ぜずにいられないことがあります。そのことについて少々、書いてみたいと思います。

 

30年前との様変わり

この記事を書いている私の年齢が、現在、56歳。彼女が死を選んだ23歳ごろとなると、かれこれ30年も前の話になってしまいます。

 

10年ひと昔という言葉があるくらい、時代の移り変わりは早いものです。特に1980年代の後半から2000年代に至っては、それこそ光陰矢の如く、時代のスピードが速まったのではないでしょうか?

 

30年前にはネットはおろか、携帯電話もありません。500円硬貨もまだ出る前の時代です。家庭用ビデオデッキが普及し始めた時代です。友人と話をするには公衆電話か一家に1台の電話機しかありませんでした。今の時代のようにLINEやらメールやSNSなどを使って情報を共有できることも皆無でした。

 

人間関係は濃かった

だから、人と人が意思疎通するには電話か直接会って、話をするしかありませんでした。

 

何を言いたいか、といいますと、この直接会って話をする、という行為こそが人間を強く逞しくしていく源ではないか、とかねがね思っているからです。

 

私の勝手な推測ですが、亡くなった彼女を含めて、スマホの依存症じゃないか?と思えるほど、皆、スマホを必ずや所有していますね。

 

別に、スマホを持っていることが悪いことでも何でもないのですが、その使い方といいますか、人間関係をもスマホに頼りすぎているのではないか?と思えてしまうからです。

 

スマホでSNSを行えば簡単に同志を集められます。あなたの意見に対して、見たことも会ったこともないような世界中の人達と、たちどころにたくさんの賛同を得られます。この体験というのは恐らく気持ちがいいものでしょう。ほとんど何の苦労もなくカチッとクリックするだけで疑似親友を得てしまうのですから。

 

そういう関係性の中では仲違いしたり意見が衝突しあって言いあったり、挙句に喧嘩になってしまう、という事もないでしょう。嫌いな意見を発信してくる者は、これも簡単にクリック一つで削除できるのですから。

 

でも、これではいつまでたってもまともで健全な人間関係は生まれないんですよね。やっぱり生身の人間同士が面と向かって意見を交換したり、時には喧々諤々の言い合いをやったり、怖い先輩や上司から叱られたり怒鳴られたりしないと、人としての五感が成長しない感じがするのです。

 

そういう意味では、私たちの20代の頃はそういった濃い、人間関係が当たり前でした。相手の息づかいや鼻息や体温を身近に感じ取りながら日々、過ごしていましたね。だから人と付き合う上での境界線というか、防御ラインの識別がはっきりとしていたのです。物心ついた時からネット環境が既にある人はこの部分がマヒしているのではないか、と思ってしまうのです。

 

本当に「死」という選択はやめてください 

今回の悲しい出来事は必然的なことだったのでしょうか?

 

誰か、周りの者が彼女のSOSを感じ取って防ぐことはできなかったのでしょうか?

 

会社組織はどこまで、彼女に対して社員としての要求と指導を行っていたのでしょうか?

 

彼女の発信したSNSによればお化粧をすることもできないほど時間の余裕を奪われていたらしいです。それに対して会社の人間は誰もおかしいと思わなかったのでしょうか?むしろ、そういった事態が普通なので誰も何とも思わなかったのでしょうか?

 

詳しい情報が入ってこない為、ただ邪推するしかありません。ただ、ここまでの邪推がそのままの真実だったとしたら、そのD社に対して親御さんの立場に立てば、腸の煮えくり返る思いしか湧き上がってこないことだけは確かだと思います。

 

ですが、死んでしまったら「後悔」することもできません。やり直しもできません。やり直そうと思ったならかすかにでも「希望」も湧いてきます。でも、命を自ら絶ってしまったらもう本当にそこでおしまいです。

 

さいごに

私もこれから社会に出ようとする娘を持つ身です。今回の出来事に対して決して他人事だとは思えないのです。何度も言いますが死んでしまったらそれで本当に終わりです。だから、余計に胸が痛みます。

 

彼女の死が今後のブラック企業に対する重要な布石になってくれるでしょうか?いえ、今となってはなってもならなくてもいいです。最も重要なことは、一人の若いこれからの命の方が何百倍も大切だ、という事だけですから。

 

亡くなられた故人のご冥福を本当に心からお悔やみ申し上げます。

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